山陽道
岩国市御庄-玖珂郡玖珂町
約13.9Km
御庄宿-思案橋
 御庄大橋を渡った所で右折し錦川沿いの道を走ります。往時の山陽道は対岸と同じく竹林の中を抜けていましたが、山陽新幹線新岩国駅開業以来大きく様変わりしていて、御庄宿までの山陽道はよく分らなくなっています。
山陽新幹線のガード下をくぐり蓮乗寺を過ぎて山裾を少し走ると御庄の宿に入ります。山陽道は元は低地の中央部を条里地割に沿って直線的に抜けていましたが、錦川の氾濫が度重なった為に、江戸時代に北側の山沿いに迂回させられました。御庄の宿周辺は昭和50年に山陽新幹線新岩国駅が出来るまでは旧街道の雰囲気が残されていましたが、今では駅開業に伴って開発された新興住宅地に呑み込まれてしまい、まったく趣のない道になっています。
蓮乗寺を過ぎて山裾を走っていると御庄本陣跡が出て来ますが、塀の一部を残して屋敷は取り壊されて空き地になっていました。本陣跡から少し行くと多賀大明神があります。多賀神社は日本各地に勧請され、延命長寿の神様として人々の信仰を集め「お多賀さん」として親しまれて来ました。趣を無くした旧道で唯一歴史を感じさせてくれる存在です。
御庄宿を過ぎて錦川鉄道のガード下を抜けた辺りから木造家屋や地蔵堂などが目に付く様になり、旧街道の趣を幾分取り戻します。
錦川鉄道と山陽新幹線が交差する下を過ぎた辺りから県道1号に合流し、御庄川の土手をしばらく南下して走ります。御庄と柱野の境に架かっているのが思案橋で、旅人がこの橋を渡って錦帯橋を見物に行くか、そのまま山陽道を進むか迷った事からこの名前が付いたと言われています。錦帯橋見物はまたの楽しみに取って置き、今回はそのまま進みます。
錦川沿いに御庄宿を目指します
御庄宿の町並み
御庄本陣跡
多賀大明神
錦川鉄道をくぐってからの町並み
思案橋-渡ると錦帯橋へ
柱野(柱野市(いち)-古宿)
 思案橋を過ぎて少し行った所に当時は一里塚がありましたが、今では痕跡を留めていません。若干細くなった御庄川沿いの土手道をしばらく走ります。この道は県道1号ですが、センターラインの引かれていない細い道なので、徒歩や自転車の場合は注意が必要です。JR岩徳線の線路の下をくぐると橋が出て来ます。柱野市(いち)はこの橋を渡ります。
柱野市(いち)は元はもう少し上流の古宿地区にありましたが、江戸初期の火災の為に野とろ原(今の柱野宿)に移転しました。御庄川は今は柱野市(いち)の北側を流れていますが、元は南側を柱野の所で大きく曲がる様に流れていましたので、市の道筋も屈折構造になっています。柱野市(いち)は、国道2号となって旧街道の面影を失った多田古市から御庄宿までの山陽道と違い、県道15号欽明路道路の開通で主要道から外れた為に、静かな旧街道のたたずまいを残しています。吉田松陰が江戸に護送される時にここで昼食をとった事が記録に残されています。
柱野市(いち)を過ぎて橋を渡り再び県道1号を走ります。信号を過ぎると道はさらに細くなり、川の対岸にレトロなデザインの学校が見えます。これが柱野中学校で、五角形の特徴的な小屋根は、ギャンブレル屋根(当初マンサード屋根としていましたが、ギャンブレル屋根が正しいみたいです)とか腰折れ屋根と呼ばれ、フランス風建築の特徴です。今では残念ながら休校になっているみたいです。
この辺りが古宿で、市が野とろ原(柱野市)に移転するまで市(いち)の中心地でしたが、今では民家が少し建っているだけで繁栄の痕跡を見る事は出来ません。柱野中学校と川を挟んで向い側に岩国市指定有形民俗文化財の千体仏を祀ったお堂が建っています。
県道15号を渡って直進するといよいよ欽明路峠への登りに入ります。
橋を渡り柱野市(いち)に入ります
柱野市(いち)の町並み
柱野中学校(休校中)
古宿の千体仏とお堂
古宿の町並み
二軒家-欽明路峠
 県道15号を横断しJR岩徳線のガード下をくぐると緩い登りに入ります。古宿川の渓流を遡る様に鋪装された坂を登って行くと、二軒屋の小さな集落に着きます。この辺りにはかつては茶屋があり旅人が休息を取る事が出来ました。集落を過ぎた辺りには一里塚がありましたが、今ではその場所をを示すものはありませんでした。
県道15号岩国玖珂線と山陽自動車道が開通した為に山陽道の道筋は若干変更されています。県道脇の道は工事用車両ぐらいしか通らないので走りやすいですが、山裾と県道の土手に挟まれて眺めは悪く、走っていて楽しい道とは言えません。県道の下をくぐり少し登ると、脇の県道15号は欽明路トンネルに入りますが、旧街道はトンネルの入り口を見下ろす様に更に高度を上げて行きます。
県道がトンネルに入ると急に辺りは静かになり、山道らしい雰囲気が出て来ますが、勾配はさらにきつくなり自転車を降りて押して登ります。峠近くなると道にはスリップ防止の溝が切られており、勾配のきつさが分ります。中峠には駕篭立場があったとされていますが、その場所は特定されていません。頂上を過ぎた辺りに石垣が組また場所がありましたが、その辺りかもしれません。
少し下ってから再び少し登ると欽明路峠に至り、ここから玖珂町域に入ります。かつては峠を過ぎた辺りから急な傾斜を下って行きましたが、現在は山陽自動車道が開通し様変わりしています。峠を下り切る手前に現存している旧街道の入り口が表示されていますが、この道は途中で途切れています。この坂はかつては七曲坂と呼ばれ、鞍掛城を攻める為に進軍して来た毛利軍も難渋した程の急坂でした。欽明路峠は標高210mで山口県内の山陽道の最大の難所とされていましたが、今では全線舗装されていて車で普通に越える事が出来ます。むしろ標高は低いものの、廃道になりかかっている宇部のどんだけ道や、下関の蓮台寺峠の方が今では難所と言えるかもしれません。
二軒家の集落
中峠への登り
中峠
中峠の石垣
欽明路峠
欽明路峠旧道
野中-玖珂市(いち)手前
欽明路峠を下った所の右側の小高い所に欽明寺が見えます。その昔、欽明天皇が休息したとの伝承からこの名前が着いたと言われています。その先のバス停の辺りから右に入った所に武田屋敷跡があります。周防源氏始祖の武田氏は、広島の呉市に移住するまでの約四百年間欽明路に居を構え、明治、大正期には町の育英事業に多大な貢献をしました。今では屋敷は取り壊されて、中には武田家歴代の墓などが建っているだけです。
武田屋敷跡を過ぎて少し走ると黒板壁のモダンな公会堂が出て来ますが、これが元の玖珂小学校野口分校です。夜に明かりが灯った所を見てみたくなるような洒落たデザインです。この野口の集落には古代律令制時代の宿場の性格を持った駅家(うまや)が置かれていて、古くから栄えていた事が分りますが、今では町の中心は玖珂駅周辺の玖珂市(いち)跡に移っています。山陽道はJRのガード下をくぐった辺りから道幅が広くなり旧街道の趣を無くしています。JR岩徳線の南側をしばらく走ると野口一里塚がありましたが、今ではその位置を想定する事しかできません。
一里塚跡を過ぎた所の小山が明神山(俗称亀山)で、太閤秀吉が九州の島津氏を攻める為に遠征した時に陣地を築いた所と言われています。山陽道は玖珂駅手前のJRのガード下をくぐる道との交差点で左に曲がります。町中の狭くなった路を少し行くと、隣に建っているニ階家よりも背が高い碑が建っていますが、これが義民田坂市良右衛門頌徳碑です。彼は悪代官の所業を正そうとして立ち上がり、投獄や島流しの目にあいながらも無罪になり、領民の為に良政を行ないました。四十ニ才で亡くなった時には二千人が会葬に集まったと言う事です。
義民田坂市良右衛門頌徳碑を過ぎて少し行った所で道は右に折れますがここが玖珂の市頭です。
欽明寺
武田屋敷
欽明路の町並み
玖珂公会堂(元玖珂小学校分校)
野口一里塚周辺
田坂市良右衛門頌徳碑